要点
- 東北道を降り、浦和方面へハンドルを切ると、「讃岐うどん豆だぬき」という飲食店がある。
- 店先には、たぬきの焼き物が置かれており、単なる「縁起物」の置物ではなく、看板であり、店の人格の一部なのだと言われているようだ。
- 関西以西、とりわけ四国方面に伝承が残るとされる豆狸が、埼玉のうどん屋の入口で、焼き物として“何食わぬ顔”をしている。
東北道を降り、浦和方面へハンドルを切る。今日は外で食べようか。そんな流れになると、私の頭の中の“俺ミシュラン”が自動的に一軒を指差す。「讃岐うどん豆だぬき」。ここに寄らずして帰ると、句読点を打ち損ねた気分になる。
店の外観は、正直に言えば、控えめだ。ところが扉を開けると、値段、味、そしてメニューの幅が、景色ごとひっくり返る。うどん一本勝負の潔さを想像して入ると、いい意味で裏切られる。しかも内装が妙に豪華で、一枚板のテーブルがどんと構え、和の空気のはずなのに壁には洋画が飾られている。異文化が喧嘩せず、同じ鍋で煮えている感じがある。
そして店先には、当たり前の顔をして、たぬきの焼き物が置かれている。食べる前から、視線がそちらへ吸い寄せられる。たぬきは単なる「縁起物」の置物ではなく、看板であり、店の人格の一部なのだと言われているようで、少し背筋が伸びる。
「たぬき」に対しての知識を入れれば入れるほど、この店のコンセプトがこちらの想像を越えてくる気がする。たとえば「豆狸」。江戸後期に出た妖怪本『絵本百物語』に名が見え、広げると八畳にもなる陰嚢を持つ妖怪として描かれている。著者名は桃山人だが、序文の署名は桃花山人とも読めるらしく、『国書総目録』では戯作者の桃花園三千麿に比定されているという。こういう“名乗りの揺れ”も、化かしの入口である。
挿絵を手がけた竹原春泉斎の仕事も、ただの挿絵では終わっていない。妖怪ものの版本は墨一色や淡い薄墨重ねが多いのに、この本は淡色の上に緑や青、赤など複数の色を重ねる多色刷りで、妖怪たちが紙の上で妙に生々しい。題名は「百物語」だが、各話の見出しは怪談の題ではなく妖怪の名で、絵が前に出る。怪談集と画集が一緒に鍋で煮えてしまったような本だ。さらに内題には「桃山人夜話」と記されている巻もあり、別名で呼ばれるのも筋が通っている。
関西以西、とりわけ四国方面に伝承が残るとされる豆狸が、埼玉のうどん屋の入口で、焼き物として“何食わぬ顔”をしている。地理がねじれているのではない。こちらの常識が、ねじられているのだ。外観からは予測不能。中へ入れば、値段も味も空間も、こちらの当たり前を軽やかに化かしてくる。だからこそ、あの店先のたぬきは飾りではなく、「符牒」なのかもしれない。次回は、あの狸が本当に“豆狸”そのものなのか。もう少し真面目に、そしてゆるく考察してみたい。
こういう「予測不能のまま成立してしまう豆だぬき」がロックンロールを体現している。石、転がっといたらええやん。というわけである。